プロフィール

今泉 光司

Koji Imaizumi


1959

 東京都台東区生まれ 日本大学芸術学部映画学科卒業 シナリオ作家協会シナリオ講座終了 UCLA 映画公開講座 2 コース終了フリーランス脚本・演出家として多数のビデオ・フィルム作品を制作した後、 映画監督小栗康平に 1995 年までの 9 年間助監               監督として師事 フィリピン・バギオのドキュメンタリー映画監督キドラット・タヒミックの 映画制作に参加


1996 ~

 フィリピン、バギオ市に住み、日比協同製作映画「アボン・小さい家」の調査・ シナリオハンテイングを開始。

1998

 国際交流基金フェローシップ

2000

 国際交流基金映画助成

2002

 フィリピン芸術文化評議会映画助成



フィルモグラフィー


1998

 ドキュメンタリー自然農法・福岡正信「地球で生きるために」Betacom 61min

2000

 音楽ドキュメンタリー「梅津和時・HOBO サックス・カルテット、モロッコへ行く」DVCAM 93mins

2003

 第一回映画作品「アボン・小さい家」35mm・16mm130 分劇映画

2003 2

 ドキュメンタリー「画家市村修・EL SURDVCAM 87mins


フィリピンの下宿先:

 C/O Mrs、Norma Quilan(日系人ヒガシ様方) No,16, Block3, East Quirino Hill, Baguio City、Benguet 2600 Philippines

日本の住所

 特定非営利活動法人サルボン 〒111-0041 東京都台東区元浅草 4-8-5Tel&Fax 03-3843-0877

サンパウロ国際映画祭 2005 公式コンペ・ノミネート作品

ベルリン・アジア・パシフィック映画祭 2005 公式コンペ・ノミネート作品 インド・ケララ国際映画祭 2003 公式コンペ・ノミネート作品 タイ・バンコック国際映画祭 2004 招待作品 ニューヨーク・Arkipelago映画祭 2003 招待作品

長岡アジア映画祭 2004 招待作品・東京平和映画祭 2005 招待作品 沖縄伊江島映画祭招待作品・福岡アジア映画祭 2005 招待作品

日比 NPO 協働製作劇映画 「アボン・小さい家」

地球で生きるために

アボンとは、山岳民族の言葉で「小さい家」という意味です。

「アボン・小さい家」製作・上映委員会 NPOサルボン(東京)・NPOルボン-バギオ(フィリピン)

“Small Home”Production Exhibition Committee

「アボン・小さい家」は、地球上の自然的なものと人間的なもの、貧しさと豊かさ、寛容と不 寛容などに晒された世界の縮図である。自然と共生して暮らすイゴロットの豊かな生活と、 そこから町へ出た日系フィリピン人の家族の貧しさと哀しさ。その彼らの生活と家族の絆を 優しい視線で包んで描きながら、映画は風刺のきいた寓話的な世界を見事に築き上げている。

映画評論家 村山匡一郎 バギオのカソリック・ビッショップ推薦

ベンゲット州知事および 13 市町村知事推薦

HP: http://www.ne.jp/asahi/small/home/ 協賛:国際交流基金 フェローシップ1998

国際交流基金 映画助成2000 National Committee of Culture and Arts2002 映画助成 Philippine Information Agency協同製作 Mowelfund Film Institute協同製作

今泉光司監督作品『アボン小さい家』

「知ることと、忘れてしまうことの悲しみを友に」台風ヨランダ被災者支援のために

フィリピンのルソン島北部山岳地帯で映画、映像を通したボランティア活動をしているNPO法人サルボン(東京都登録)代表の今泉光司と申します。

フィリピンで活動を始めて18年目になります。

1996年に北ルソンの日系山岳民家族の家族を主題にした劇映画「アボン・小さい家」(2005年日本公開、共同プロヂューサー;クリスティーナ・S・ア バン)を制作するためにベンゲット州で活動を始めたのを皮切りに、映画制作ワークショップ及び制作支援、自然農法を通した農業支援、アジア太平洋国際平和 慰霊祭などの平和活動、緊急災害支援などの4つのテーマに沿って活動をしています。

サルボンは主に私一人が現地の団体や協力者たちと活動しているNPOで、事務所も車も固定電話も持たない最小の無給ボランティア組織です。

11月にジャズミュージッシャンの梅津和時さんから、フィリピンの 大型台風ヨランダ(フィリピン名)の犠牲者支援のために何か出来ることがあったらやりたい、というオファーをいただきました。

梅津さんが自らそうおっしゃってくださるのなら、私もひとはだ脱ごうと一念発起し、早速レイテ島の被災地に視察に行って参りました。

超大型台風が上陸したレイテ島被災地の海岸線では世界中のボランティア団体が活動し、食料や医療支援は十分足りている様子でした。

しかし台風襲来から2週間後の被災地はガレキの山。

まさに東北の津波被災地を思わせるような光景に唖然としました。

教会の敷地の中にはつい昨日あたりに埋めた犠牲者の盛り土が並び、粗末な竹や木の十字架がたくさん並んでいました。

大きな木が根こそぎ倒れている公園で老人たちに話を聞くと、戦後すぐに植えた木で70年以上経つ老木でした。

この島は70年前に苛烈な日米戦、あのレイテ戦の激戦地になり、米軍の艦砲射撃で焼け野原になった海岸線でした。

なんと70年の間に2度も、家、学校、役場、公民館、教会、道路も公園も全てを破壊され多く の人々が犠牲になった海岸線で、唖然としました。

遠い波の音を聞きながら、のどかな島の人々の戦後の日々を思い、瓦礫の山となった村の中を歩き回りました。

今回は自然災害だから仕方がない…。

しかし70年前の出来事のことを僕たちはほとんど知りません。

東北の津波災害で生き残った人々は、死んだ大切な人たちのことを忘れてしまうのが悲しい、と言いました。

せめて僕たちはその苦しみを少しだけ知り、忘れてしまうことの悲しみに思いを寄せたい。

そんな活動をしたいと考えています。

被災地では既に多くの国際支援団体が活動をし、世界中から多くの支援物資が配給されています。

まだ手の届いていない島々や、足りていない物資などもあるかと思いますが、私たちには私たちがやるべき別の活動があると考えました。

音楽と映像を通して被災地の人々と交流をして行く活動です。

具体的には、全壊もしくは半壊した音楽教育に熱心な先生のいる高校に楽器を送り、同時に梅津さんの演奏を録画したビデオレターを学校で上映し、音楽の新しい才能をインスパイアーしつつ交流してゆくプロジェクトです。

レイテ島から、或いはその近隣の島から若いジャズ演奏家が生まれることを期待し、音楽を通した小さな日比国際交流が出来ることを期待して、また私たち日本人が教 えられていない戦争の歴史と出会うことが出来ることを期待します。

この小さな輪から何かが広がって行くかもしれません。

支援先の学校は最初は3-4校程度を考えています。

数を増やし広げて行くことよりも、少数の場所で出来ることを長く続けて行きたいと考えています。


NPO法人サルボン 今泉光司

 
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